巣箱を置くのは山深い場所が多い。人が近づかない代わりに熊がよく出没するという。1つの巣箱に入るミツバチは最盛期には5万匹にもなる。
春、桜の開花に心躍らせるのは人だけではありません。「うちのミツバチたちの一年は桜から始まります。花が最高潮に蜜をふきだす日は蜜集めに夢中で、人が近づいても目もくれません」。愛おしそうにミツバチを語るのは、伏見区で「ヒグチ養蜂園」を営む樋口義明さん。数少ない京都府内の養蜂家の中でも、蜜源の開花に合わせて巣箱を移動させる転飼養蜂(てんしようほう)を唯一行う稀有な存在です。
販売する8種の蜂蜜は、どれも樋口さんと息子の敬祐さんが自家採取し、最低限のろ過だけを施して瓶詰めした正真正銘の純粋完熟蜂蜜です。近頃は低濃度の蜂蜜を濃縮・脱臭・脱色加工した精製蜂蜜を混ぜたものや、高温で加熱処理をしたものを純粋蜂蜜として販売する業者が多いなか、蜜源や採取者が特定でき、蜂蜜の魅力である香りや酵素が生きた国産蜂蜜はとても貴重な存在。れんげ、あかしあ、とちなど、一つの花の蜜だけでつくる単花蜂蜜を、小規模な養蜂家が自家採取の蜂蜜だけでいくつも揃えるのは難しく、その技術の高さが伺えます。
樋口さんが行う転飼養蜂は、2週間程で移り変わる花の盛りに合わせて巣箱を置き、週に1度は巣箱を開けてハチの世話をしながら、頃合いで蜂蜜を採取し、次の蜜源へ移動させます。最盛期である4〜6月は、京都と滋賀を中心に、みかんの蜜を求めて遠征する長崎も含め13カ所に全部で300個の巣箱を置いて管理するため、東奔西走の日々が続きます。ハチは巣箱の中で羽ばたき、集めた薄い蜜の水分を飛ばすことで熟成させて蜂蜜にします。「タイミングを外すと蜜が薄かったり、別の花の蜜が混ざったりするため、その見極めが一番難しい」。
そんな樋口さんが一番好きだというのが、うわみず桜の蜂蜜。オレンジががった濃い黄金の蜜を口に入れると、蜂蜜独特の香りと杏仁にも似た花の香りが鼻腔を抜け、コクのある甘みが広がります。おなじみの桜とはまるで違う、房状の白い花。山奥に人知れず咲くもう一つの桜を、この蜂蜜を通して知る人も多いでしょう。
養蜂を始めて50年になるという樋口さんですが、3年前に敬祐さんが後継者として養蜂に加わったことで転機が訪れたといいます。「10年くらい構想を温めてきた『京都に根ざした蜂蜜づくり』を始めました」。折よく東京の百貨店の目に留まり、京都産蜂蜜に特化した専用ブランドを立ち上げ、上賀茂の桜、洛西のあかしあ、美山のとちの3種類の蜂蜜を発売しました。「蜂蜜を味わうことで、京都の情景を思い出してもらえたらうれしい」。そう話す樋口さんの傍らに微笑みながら立つ敬祐さんは、この構想を強力にバックアップする頼もしい存在です。「近頃は南禅寺界隈の桜も気になっていて。巣箱を置く場所がないかと探しています」。今年の桜が終わる頃、もしかしたら新たな桜の蜂蜜がお店に並んでいるかもしれません。
イチオシ蜂蜜の「うわみず桜」。うわみず桜は古事記に「ははか」という名で登場し、大嘗祭の儀式にも使われる歴史ある木。
うわみず桜の花。「桜が終わる頃、山に入るとこの花の香りがして、見上げると白い花が咲いています」。
店頭で販売する蜂蜜は現在、桜、うわみず桜、れんげ、あかしあ、みかん、とち、からすざんしょう、百花の八種類。
Information
ヒグチ養蜂
京都市伏見区桃山町丹後8-1
TEL 075(611)0383
不定休のため、訪問の際はtwitter@higuchibeefarmで営業日の確認を
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