境内に咲く3本の桜は、近隣の小学校の卒業生が自身の成功を記念して植えたもの。2本は紅枝垂れ桜、1本は八重桜で、いずれも早咲きのためお花見はお早めに。
さくら花 ぬしを忘れぬものならば 吹きこむ風に 言伝(ことづ)てはせよ
後撰和歌集に収められたこの和歌は、菅原道真公が大宰府に左遷される際、京の邸(やしき)の庭に植えられていた桜への想いを詠んだもの。道真公といえば梅の花を好んだことで知られますが、実は同じくらい桜も愛していたことが窺えます。その道真公をお祀りする「天満宮」の社号を歴史上で最初に戴いたのが、堀川通の一角に佇む水火天満宮(すいかてんまんぐう)。春、境内に溢れんばかりに咲き誇る桜が美しい、知る人ぞ知る花の名所です。
そんなお宮の由緒は千年以上昔に遡ります。903年、大宰府の地で失意のうちに道真公が亡くなると、京では為政者の病死や天変地異が相次ぎました。これを「道真公の祟り」として恐れた醍醐天皇は、13世天台座主 法性房 尊意(ほっしょうぼう そんい)に祈祷を命じ、比叡山からはるばる平安京に向かわせます。その道中、行く手を阻むように氾濫した川を鎮めようと尊意が祈祷を捧げると、そこに現れたのが一つの巨石。道真公の神霊はこの巨石の上に現れ、天に昇ったと伝わっています。その巨石が、境内の一角に祀られている「登天石(とうてんせき)」です。
「登天石は磐座(いわくら)であり、御神体。水難除けのご利益は、この石に由来するものです」と教えてくださるのは宮司の孝學暁(こうがくあきら)さん。このお宮の後継ぎとして生まれた暁さんですが、当初は神社を継ぐことにあまり積極的ではなかったのだそうです。一度は会社勤めを始め、それでも「自分が神社を守っていかねば」との思いにかられて宮司を継いだのは40歳になってからだったとか。
「小さくとも、千年以上の間、京都の歴史を見守ってきた由緒あるお宮です。今こそ地域に根ざした神社として、途絶えていた祭事を復活し、再び盛り上げていきたいと思ったんです」と語る孝學さんは、4月に催される「櫻花祭(おうかさい)」をはじめ、数々の行事を再興。お祭りでは神事とともに、能や一絃琴による演奏、軽音楽なども催されるとのこと。「地域の人と一緒になって、神社も少しずつ変わっていかなければいけない」と孝學さんは語ります。
「神職は『仲執(なかと)り持ち』といって、神様と人の間に立ってお伝えする仕事。こちらから発信するばかりでなく、来てくださった方々のために何ができるのか考えることも必要だと思っています。自然とたくさんの人が集まって、そこから人と人との交流が始まる。そんな地域のコミュニティのような場にしていきたいですね」
水難・火難を司る神として畏れられる一方で、学問に秀で、花をこよなく愛した“人”としての道真公。その人となりを懐かしむように咲く桜のもとに、今年もたくさんの人の輪が広がります。
怨霊として畏れられた道真公の神霊が降り立ち、再び天に昇ったと伝えられる「登天石」。この石に祈ると迷子が無事に戻るという言い伝えも。
鎮座以来、一度も枯れたことがないという「金龍水」。昔は不治の病だった眼病を癒したと伝わる、霊験あらたかなお水です。
安産にご利益があるという「玉子神石」。妊娠5カ月目以後にこの石に触れて祈願すると、玉子のようにつるりと産まれるといわれています。
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