湯どうふの順正
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Mamemasa
昔ながらの製法で創る鬼をも黙らす滋味深い節分豆。
初代考案の代表銘菓、夷川五色豆(左)。煎り大豆(右)

初代考案の代表銘菓、夷川五色豆(左)。煎り大豆(右)は通年商品で、節分の頃には店頭での計量売りもあります。

 松の内が明ける頃から店頭に並びはじめるものといえば、節分の煎り大豆です。豆まきが節分の風習として最初に文献に現れたのは今から約600年前の室町時代のこと。平安時代に宮中で大晦日に行われた厄祓いの神事「追儺(ついな)」がその起源と言われています。現在は鬼やらい神事として各地の節分祭に引き継がれ、京都では特に吉田神社と平安神宮で執り行われる古式ゆかしい追儺神事が有名です。

 「節分に豆を食べるのは魔滅(まめ)、つまり魔を滅するという意味と、季節の厳しい折に栄養価の高い豆を食べて厄を祓うという意味も込められています」と語るのは、豆菓子の老舗、豆政5代目当主の角田潤哉さん。先の両神社をはじめ、30以上の寺社に節分の福豆を納めています。

「豆をまくのは、鬼を打ちすえるのやのうて、施しを与えて退散してもらうためやと、煎り豆用の大豆には国産を指定される寺社も多くあります」と角田さん。北海道産大豆からその年ごとに出来のいい品種を選び、2分8厘(約8・5o)以上のものだけを使用。「大粒でお豆の甘い風味がしっかりしているのが大事です」

 煎り大豆作りは“水やり(浸水)"から始まります。明治20年の創業時から変わらない「やらかい」水質の地下水を井戸から汲み上げ、豆の膨らみ具合を見定めながら2日かけて行います。その後、現役60年の豆煎り機で20分ほどゆすりながら均質に火を入れ、一日冷ましてから、火が入り過ぎたり足りない豆を手作業で除き、ようやく完成です。最も難しいのは水加減で、豆が膨らみすぎると中がスカスカになり、大きいだけで豆本来の甘みに欠けた仕上がりになってしまうとか。

 出来上がった煎り大豆は表面には磨きをかけたような艶(つや)があり、噛み締めるとカリリッと小気味良い音と共に、大豆の甘く香ばしい風味が広がります。この基本の煎り大豆に、醤油と海苔で風味をつけたものを合わせ、節分用に煎る大豆だけで20t余り。「近頃は節分を“お豆を食べる行事"として捉える流れもあって」、エンドウ豆に五色の衣をかけた名物、夷川(えびすがわ)五色豆などの定番商品に季節商品も加わり、節分前は忙しさも極まります。

 移り変わる時代の中で、老舗が守る正統派の節分豆。鬼に施しを与えて穏便に帰し、歳を取るほど多く食べて滋養をつける=B丁寧に作られた煎り豆の味わいには、そんなほっこりあたたかい蘊蓄(うんちく)がよく似合います。

本店と工場は御所の南側に位置し、名水の地としても有名

本店と工場は御所の南側に位置し、名水の地としても有名。まろやかな味と年中ほぼ一定の水温が豆の美味しさを引き出します。

本店奥の工場では、煎り豆や五色豆以外にも多彩な豆菓子を製造

本店奥の工場では、煎り豆や五色豆以外にも多彩な豆菓子を製造。煎り加減、水加減、味付けの微妙な調整には熟練が必要です。

人の手で火加減を調整しながら、下からガス火、上から電熱で挟んで豆を煎ります

人の手で火加減を調整しながら、下からガス火、上から電熱で挟んで豆を煎ります。網内部の突起は熱をムラなく伝える工夫。

 

豆政5代目社長 角田 潤哉さん

豆政5代目社長 角田 潤哉さん

「老舗として品質の高さは守り通します。一方で、世の中の仕組みや嗜好が変わっていく中、流行りには乗りたくないが、時流には沿いたい。創業120年記念に創作したクリーム五色豆はその代表ですね。豆菓子を決して昔菓子にはしたくないんです」

大正時代の看板。表に掛かっている看板も同時代のもの。


Information
豆政
中京区夷川通柳馬場西入ル6丁目264
TEL:075(211)5211

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