創建時の閻魔法王像は応仁の乱で焼失し、現在のお姿は長享2年(1488)に仏師定勢により刻まれたもの。7月1日〜15日の「風祭」では真っ赤にライトアップされます。
京都市の西部を南北に貫く「千本通」。かつて船岡山西麓にあった葬送の地「蓮台野(れんだいの)」へ至るこの道に、供養のための塔婆(とうば)や石仏が無数に立てられていたことが、その名の由来といわれています。そんな恐ろしげないわれを持つ通りの一角に、平安時代の役人、小野篁(おののたかむら)が開いたといわれる引接寺というお寺があります。通称は"千本ゑんま堂"。その名の通り、迫力のある閻魔(えんま)様がおられるというお堂を訪ねると、住職の戸田妙昭さんが気さくな笑顔で出迎えてくださいました。
「この辺りは平安京のメインストリート、朱雀大路の北の端で、この世とあの世の境とされていました。当時は風葬の時代ですから、人が亡くなると皆、亡骸(なきがら)を運んできては置いていったのだそうです。そのため、界隈は衛生的にも治安的にも次第に荒廃。それを何とかしようと思ったのが、小野篁さんなんです」
昼は宮中に、夜は閻魔庁に仕えていたといわれる小野篁は、現世を浄化するために、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える「精霊迎えの法」を閻魔様から伝授。その根本道場として、篁が自ら閻魔様のお姿を刻んで祠を建立したのが、このお寺の始まりなのだそうです。そして、この法儀が元となり、京のお盆行事へ融合発展していったのだとか。
8月7日から15日にかけて、境内の池に水塔婆を流し、迎え鐘をついて先祖の霊を迎え、16日に送り鐘でお見送りをする─そんな昔ながらの先祖供養は、千年以上の時を超えて今に受け継がれ、宗派を超えた参拝者が毎年数多く訪れます。
「篁さんのことを、私は『風の祖(かぜのそ)』と呼んでいます。この世とあの世の間に風を起こし、もともと道教思想だった閻魔様を招来して神道と仏教の間をつなぎ、平安の世に先祖供養という新しい風を起こした人。当寺に伝わる篁さんの像も、袖をひるがえして風をまとうお姿をされています」と語る妙昭さんは、自らもさまざまなアイデアで、千年の古刹に独自の風を起こしておられます。毎月16日の縁日には、先代住職が遺した閻魔大王の紙芝居をデジタルデータ化し、プロジェクターを使って上演。7月に行う体験型の夜間拝観「風祭(かぜまつり)」は、新たな年中行事として定着しています。
「閻魔様は決して地獄の大将ではなく、人を見守り、導いてくださる存在。その慈悲の風に触れていただける機会を、これからも作っていけたらと思います」
お精霊迎えの時、迎え鐘をついて先祖の霊を迎える鐘楼。
お地蔵さんの供養池には、往時の朱雀大路から発掘されたという数十体のお地蔵さんを安置。
先代住職の依頼で友禅職人が描いたという閻魔大王の紙芝居の原画。
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