しんしんと身に染む京の底冷え。この時季に恋しいものの一つが、アツアツのおでんではないでしょうか。今回は、創業明治15年のおでんの名店『蛸長』を訪ねました。
こぢんまりした店内に、座席は14席のみ。年季の入った分厚い檜のカウンターの向こうで、4代目当主の河合達也さんが出迎えてくださいます。その手元では、仕込みを終えた約20種のおでん種が、手入れの行き届いた銅の鍋で丹念に煮込まれていました。「こうして最終的に一つの鍋、一つの出汁の中で炊き合わせますが、ネタ一種ごとにすべて違う火加減、味加減でそれぞれ下拵(ごしらえ)えしています。長いものだと仕込み始めてから4〜5日かかるものもありますよ」と語る河合さんは、もともと日本料理のご出身。「当初この店を継ぐ気はなかったんですけど、父が体を壊してちょっとだけ手伝って“と言われて”実際にやっ丁寧な仕事と創意を愉しむ明治創業の老舗のおでんてみたら、おでんの深さ、面白さに目覚めてしまいました。気づけば、今で18年目。もうやめられません(笑)」
蛸長のおでんは、飛竜頭(ひろうす)、玉子、巻甘藍(ロールキャベツ)、蒟蒻(こんにゃく)、豆腐、湯葉など通年ものの他に、季節ごとに旬のものが加わります。聖護院大根や海老芋、堀川牛蒡などの京野菜、鴨つくねなどは冬の時季ならではのお楽しみ。
それにしても、壁のお品書きにある“宝袋”と“裏ねた”が気になります。「“宝袋”というのは、お揚げの中に、様々な具材を入れたもの。冬には牡蠣のみぞれ煮など旬のものが入りますが、時々、変わったものを入れてみるんです。あんこ餅とか、桃と豚の肩ロースを取り合わせたものとか。“裏ねた”というのは、折々に思いついて作る変わり種。手間が掛かりすぎて一回だけの幻の一品になることもよくありますが、そんな創意工夫をお客様も楽しみにしてくださるし、自分も楽しませてもらってます」。そう語る河合さんの口調に、いわゆる老舗の気負いは感じられません。出汁のひき方も当代オリジナル。しかし、名物の蛸の仕込みだけは、代々受け継いだ“蛸専用の出汁”を継ぎ足し継ぎ足し使っているのだそうです。
伝統も、遊び心も、澄んだ出汁の中でふっくら炊き合わせた蛸長のおでんは、心までじんわり温かく包み込むような、深い味わいでした。
作家・池波正太郎の著書に登場することでも知られる、おでんの老舗。使い込まれた檜のカウンターもいい味を出しています。予約は不可で、この日も17時30分の開店時には既に数組のお客様が並んでおられました。
錫の銚釐(ちろり)にたっぷりと注ぎ、おでん鍋の横で程よい加減に仕上がった熱燗。行列してでも味わいたくなる、冬の幸せです。
壁のお品書きの中には難読漢字も。「あれは何?」と尋ねながら注文するのも、また一興です。ちなみに「七五三結(しめむすび)」とは、蛸飯の焼きおにぎりに、おでん出汁を注いだ、締めにおすすめの一品。
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