蓮の見ごろは夏の早朝。境内に約90種の蓮が咲く法金剛院では、毎年7月7日から2週間を「鑑蓮会」として特別に朝7時に開門します。
JR花園駅の北西に、花の寺として知られるお寺があります。平安時代後期に鳥羽天皇の中宮として、また崇徳(すとく)天皇・後白河天皇の生母として栄華を極めた待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)遺愛の地、法金剛院。一年中、いつ訪れても花の色が絶えないお寺で、とりわけ夏、境内の池とその周囲に色とりどりの蓮が咲くさまは、まさに一幅の絵のような美しさです。
法金剛院の歴史は、平安時代初期に右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)が営んだ山荘を、彼の死後、寺院に改めたことに遡ります。一度、寺勢は衰えたものの、待賢門院の発願によって大治五年(一一三〇)に再興。大池の周りに諸堂と女院(待賢門院)の御所が建つ境内は極楽浄土さながらの壮麗さで、風雅な庭園と美貌の女院を慕って殿上人や歌人らが集う文化サロンのような様相を呈していたといいます。その中の一人が、かの西行であったという逸話も。
待賢門院の没後、娘の上西門院(じょうさいもんいん)がさらに境内を拡充するも、以後、栄枯盛衰を繰り返し、いつしか寺域も縮小していきました。「私がこの寺の住職になった昭和二〇年代の頃は、昔日の面影はなかったと思います」と語ってくださるのは、法金剛院の当代ご住職、御年九五歳の川井戒本長老。
「昭和四三年、寺が面している道路の拡幅を機に、本堂を移築して寝殿造様式にするなど、境内を大幅に改修しました。さらに昭和四五年には発掘調査をしていただいて、平安時代の『青女(せいじょ)の滝』の石組みがほぼ完全に残っているのが分かったんです。それで、池や遣り水なども整備して、待賢門院さんの在りし頃のような浄土式庭園の姿に戻すことができました」
夏の朝、法金剛院の庭園に咲く蓮は約九〇種。いずれも川井長老が国内外から集め、丹精込めて育ててこられたのだそうです。「極楽浄土には五色の蓮が咲いていると、阿弥陀経に書かれています。その様子を具現化しようと思って、一生懸命、蓮を植えてきました」とおっしゃる川井長老の思いは、都の西に極楽浄土を現出しようと願った待賢門院の思いと重なります。
長老が少年僧の頃、奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)で学ばれたという蓮の栽培法は、庭師さんに受け継がれ、守られているとのこと。この夏も、法金剛院に極楽の大輪が清らかに咲き誇ります。
池の中に大輪の花を咲かせる金輪蓮。淡いピンクで縁取られた白い花弁が愛らしい品種です。
池に面した本堂(礼堂)は、左側に釣殿を設けた寝殿造様式。平安時代の華やかさが偲ばれます。
待賢門院の発願で作庭家、林賢(りんけん)と静意(じょうい)が作った「青女の滝」。国の特別名勝に指定されています。
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