門から本堂へ続く石畳の道と、その両側に咲く萩の花。
今年は大政奉還150年。この歴史的大事件の立役者の一人である勝海舟(かつかいしゅう)は、海軍の任務で長崎や神戸へ赴く際、あるお寺を京の常宿としていたといいます。賀茂川と高野川の合流点、鴨川の東岸に佇む浄土宗の古刹、常林寺です。
「元々どういうご縁であったかは記録に残っていないのですが、ここに勝海舟が逗留し、彼のもとへ坂本龍馬をはじめ門下生らが訪ねてきていたようです」と語ってくださるのは、三十九世住職の板倉隆昌さん。「子母沢寛(しもざわかん)の小説『勝海舟』によると、当時、すでに境内に萩がたくさん咲いていたことが伺えます」
そう、ここは古くから知られる"萩の寺"。毎年9月中旬には、境内一面を埋め尽くすように、紅と白の萩の花が美しく咲きこぼれます。
常林寺は、天正19年(1591)に寺町通荒神口に建立されたお寺。その後、寛文11年(1671)の火災で類焼し、元禄11年(1698)に現在地に再建されたのだそうです。当時、この地には賀茂川と高野川のほか、砂川という河川が鴨川へ流れ込み、三角洲のような地形をなしていました。
「今でこそ穏やかな鴨川ですが、昔は白河法皇が"わが心にかなわぬもの"と嘆いたほど氾濫の多い川だったんです。祖父に聞いたところでは、昭和10年の水害時には境内まで水があふれ、庭で魚が捕れたほどだったとか。そうして川が繰り返し運んできた砂が堆積し、砂地を好む萩に適した土壌になったのでしょうね。今では治水が進み、堤防も川端通も嵩(かさ)上げされ、私が記憶する限り境内が浸水したことはありませんが」とご住職。
言われてみれば、かつて境内と同じ高さにあったという門は、現在、境内より約1メートル高いところに設(しつら)えられています。
その高低差のおかげで、門から少し見下ろし気味に眺める境内の萩はまるで海に連なる波のよう。
その奥に建つ本堂には創建当時からの阿弥陀三尊像を安置し、その一角には秀吉の念持仏であったといわれる聖観音菩薩像も祀られています。海舟や龍馬も、その御前で手を合わせたであろう仏に見守られながら、常林寺の萩はこの秋もまた可憐な花を咲かせます。
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「その年の気候にもよりますが、萩は敬老の日からお彼岸あたりに見ごろを迎えます。この秋、お近くに来られた際には、ぜひ気軽にお立ち寄りください」
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