2016年、猿が12年ぶりに干支の主役の座に帰ってきました。新日吉神宮(いまひえじんぐう)では猿は神様の御使い。本殿前には、金網に入った狛犬ならぬ狛猿が安置されています。金網は、夜な夜な猿たちが動き回るのを防ぐためとも言われているそう。小倉宮司はおっしゃいます。
「あれは比叡山の猿なんです。平安京から見て比叡山は鬼門の方角にありました。その比叡山東坂本の日吉大社さんで、神の御使いとされていたのが猿。猿は鬼門から来る鬼を封じる力を持っています。後白河上皇が院の御所の鎮守として、日吉大社から神様の分霊をお迎えしたのが新日吉神宮の成り立ちですから、当然ここの猿も御霊験いやちこ、というわけですね」。
また、“新日吉”を“いまひえ”と読むのは、比叡山から来ていると思われます。昔は“日枝山(ひえのやま)”と書いた比叡山。日吉大社もかつて“日吉社(ひえしゃ)”という名称でした。“新”が付いたのは、その日吉大社と比べて当時は新しかったためでしょう。
「全国の他の“ひえ”と付く神社は、“ひよし”や“日枝”と変わったり、“山王”となったりしましたが、ここは“日吉”で“ひえ”という読み方が残っている珍しい場所なんです。でも実は、氏子さんからは“いまひえさん”ではなく、“ひよしさん”と呼ばれることが多いんですけどね」。
そんな新日吉神宮で、もう1つ興味深いのが豊臣秀吉公との関係。江戸時代、徳川氏によって秀吉公の豊国廟(墓)が取り潰される際、ひそかにその御霊代が遷されてきたのです。それは、新日吉神宮の御祭神の1人“樹下”神(このもとのかみ)と、“木下”藤吉郎を名乗っていた秀吉公に、通ずるところがあったからと伝えられています。「隠れて秀吉公を信仰する人々が集い、境内に“樹下社(このもとのやしろ)(豊国社)”という祠を建て、長くお祀りしてきた新日吉神宮。秀吉公の偉功を感じられる文化財も残されています」。
秀吉公と言えば、有名なのが“猿”というあだ名。そのことと御神猿とは直接の関係は無いでしょうが、よくよくの御縁があったのかもしれません。猿には“魔が去る” “何よりも勝る”の語呂合わせもありますから、2016年はぜひ猿に縁深い新日吉神宮へ、御神猿や秀吉公のご利益をいただきに訪れてみてください。
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「本殿の御神猿は、一般には公開していないのですが、本殿脇に双眼鏡を用意しています。そこから、のぞいてみてください」。
本殿前に一対で向かい合う狛猿。右下は、可愛らしいお守り。社務所に用意されています。
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