木版が印刷に変わり、一部は機械化されましたが、丁寧な手仕事でかるたが作られています。
日本が創造した、世界に誇る美の系譜「琳派」。江戸初期の芸術家 本阿弥光悦を始まりとし、中期の代表 尾形光琳の「琳」を取って名付けられた画派のことです。2015年は、その始祖とされる光悦が、徳川家康から北区の鷹峯の地を拝領して400年の節目。京都では、様々なイベントが催され、盛り上がりを見せつつあるこの機会に、ぜひご紹介したいのが“幻”と囁かれ続けていた「光琳かるた」です。
「光琳の下絵とされる原画が存在していたことは分かっていましたが、専門家の間でも実在のかるたを誰も目にしたことがなかったんです。噂だけがひとり歩きし、近年まで行方が分からず“幻のかるた”と言われていました」と語るのは、1800年創業の大石天狗堂 前田社長。30年ほど前に、洛中の旧家からひょんなきっかけで複製の依頼が舞い込んだのが、光琳かるたとの出会いだそうです。
「その連絡を受けたのは、先代。たぶん、半信半疑でお伺いしたのではないでしょうか。しかし、現物を見せていただき、その美しさと驚きで手が震えたと言います」
一般の百人一首よりも少し大きなサイズで、読み札には上の句と歌仙絵が、取り札には下の句と花鳥風月が描かれた計二百枚。しかも、まったく使用された跡の無い状態で保存されていたのだとか。
「極め付きは、光琳に与えられた仏教界最高の芸術家の称号『法橋光琳』。それが、百首の最初にあたる天智天皇と最後の順徳院の札、上下四枚に落款されていたようです。そら、驚くでしょうね」と胸をときめかすように前田さんは語ります。
再現された光琳かるたは、精緻な絵と鮮やかな色づかい、そして熟練の手仕事で施された裏貼りの金箔紙が印象的。すらりと走る変体かなが、より一層雅やかさを浮き立たせています。
光琳の代表作とされる国宝「紅白梅図屏風」のダイナミックさと対称的に、かるたという小さな紙面に表現された、手におさまる光琳。鑑賞用としてではなく、実用品としてお求めになる雅な方も、いらっしゃるそうです。 |
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「その昔、幕府からの取り締まりをくぐり抜け、禁止されていた花かるたを購入する合図が『鼻をなでる』仕草だったそう。かるた店に天狗堂という名が多いのは、そのためです」
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