♪通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
京には、天使突抜(てんしつきぬけ)という地名があります。その名をそのまま想像すれば、天使さまが何かを突き抜ける画をイメージしてしまいますが、もちろん正解ではありません。由来はその昔、天使社と別名を持つ「五條天神社(ごじょうてんしんしゃ)」の鎮守の森に細道が続いていた名残(なごり)だとか。
五條天神社の名にある“てんじん”は、学問の神さまで有名な菅原道真をお祀りする“てんじんさん”ではなく、天の神を勧請(かんしょう)したことによる命名で、平安遷都の頃、都の守護を目的に建立された洛中でも由緒ある神社のひとつ。今はマンションやビルなど多くの建物に囲まれるように松原通西洞院の一角に静かに佇む神社ですが、毎年二月の節分には多くの方々が厄除け、病除けに『宝船図』を求めてやってきます。
「宝は、“田から”。うちの宝船図は七福神が乗る船とは違い、稲穂を一束乗せただけの簡素なもの。現存する日本最古の宝船図と言われています」と神職の和田さん。この宝船図がいつからあったかは定かではないようですが、江戸時代後期に一般にも配るようになるまでは、毎年の節分祭に宮中や公家だけに献上されていたものです。
「中央に丸い朱印があるでしょう。ひらがなの基になったとされる神代文字なのですが、研究者さんでも意味が解らないと言われてましてね。祈りの言葉のようなのですが、資料となるものが残っていないんです」
そのはず、この辺りは応仁の乱以降、多くの戦火や大火が度重なった地域で、応仁の乱、蛤御門の変、鳥羽伏見の戦いなどを経てきたことを察すれば、さもありなん。平成の世に季節の分け目を教えてくれる簡素な宝船は、洛中の時代の荒波を超えて、私たちのルーツを思い出させてくれる背筋の伸びる古図でもありました。
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「室町期の『義経記』によると、弁慶が千本目に良い刀が手に入るよう祈願したのは、この五條天神社で、その時義経と弁慶が初めて対面したのだとか」。
宝船図が刷られる版木(写真は複製)。一枚一枚手刷りされ、朱印が押されます。
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