疏水沿いに開花する染井吉野の並木は圧巻。毎年多くの方々が訪れます。
不思議と京都は、長い魚を好むところ。夏の鱧しかり、鰻しかり。“京都で鰻?”とお思いかも知れませんが、毎年その消費量の上位に位置する“鰻都”でもあります。
そんな鰻好きの京中で、鰻に手をつけずに歴史を重ねてきた神社が、東山の馬町に佇んでいます。
「神の眷属(けんぞく)として、鰻をお祀りしている当社。後白河天皇の中宮建春門院が子を授からないことを嘆き、巳蛇(水蛇=うなぎ)を生物成育の守護神とする摂津の三嶋大明神に祈願したところ、皇子を身籠もったことに始まります。喜んだ天皇は、平重盛に命じて東山に三嶋大明神を勧請し、今に至ります。もちろん、鰻は神の使者ですから、私は食すことはありませんよ」。
そう、にこやかにお話しいただいたのは三嶋神社の友田宮司。三嶋神社は、その由緒から子授けと安産の社として名高く、祈願中は鰻を断つことで成就すると言われています。
「江戸時代から伝わる文書『当社使者鰻之事』から、鰻を禁食する旨の記載があります。以前は、成就すれば鰻を近くの音羽川に放していましたが、現在はほとんど枯れているため、絵馬を奉納しています」。
絵馬の版は、江戸時代から変わらず三匹の鰻が向かって左を向いている構図。夫婦と子が、力強く未来を見据えている姿にも見えます。
さらに特徴的なのが、“三”の文字が波を打っている社紋。水信仰の神社にのみ見られる三文字(さんもんじ)で、折敷(おしき)の上に三匹の鰻を載せた形が神紋となったのだそうな。
音羽の川が枯れるほど水や時代の流れが変わっても、新たな生命を思う親のこころに一縷の違いもありません。うねる三文字に生命の神秘を重ね、取材当日も稚児を抱いた若いご夫婦が、安産を報告されていました。
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「毎年10月26日には、鰻供養『大放生祭』を行っています。全国から多くの鰻屋さんにも、ご参列していただいています」と友田さん。お名前の“重”は、重盛公からの一文字で、代々「重」をいただいているのだそうです。
二匹が描かれた絵馬に願いを書き込み祈願し、成就すれば三匹の絵馬を奉納。
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