信仰の対象でありながら、同時に造形の美しさで見る者を魅了してやまない仏像。その佇まいに人知を超えた「何か」を宿しながら、仏像は一体一体が人の手仕事で造られた作品であるという側面を併せ持ちます。6世紀後半、仏教伝来とともに日本にもたらされて以来、連綿と日本に受け継がれてきた造仏技術。その匠の技を今に伝える仏師のひとり、江里康慧さんを岡崎の工房に訪ねました。
江里さんは仏師の家に生まれた2代目。しかし当初は別の道を志しておられたのだとか。「もともと私は現代彫刻の道に進みたいと思っていたんです。ところが卒業時にちょうど父の友人である松久朋琳先生が四天王寺中門の仁王像制作を受注され、手伝わないかとの打診が。500年に一度あるかないかの大仕事ですし、像高4・5mという大きさにも惹かれてね。何ごとも経験、と軽く引き受けたものの、約1年の制作期間が終わる頃には仏師として生きていく腹が決まっていました」。
かくして仏師となった江里さんが手がけた仏像は、実に千体以上。その材質は、檜をはじめとする木材です。まっさらな木と向き合い仏を造る時、江里さんはどういう心で臨まれるのでしょう。
「修行時代に師がよく言われた言葉に“造るのではない、お迎えするものだ”というものがあります。木の中にすでに仏はおられる。仏師の仕事は、まわりにへばりついた余計なものを取り除くことだと。当時はよく理解していませんでしたが、それは仏道修行と似ているんですね。悟りの境地とは、自分の中の煩悩を取り払って本来備わっている仏性に気づくことですから」。
仏を見つめ続け、自分自身に向き合い続けた先に、形づくられる息吹。江里さんが木に向かう所作を見ていると、それは、仏に姿をもって欲しいと願った先人たちの畏敬の念を代弁することでもあるように見えました。 |
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「仏師の仕事は手取り足取り教わるのではなく、師匠と起居を共にしながら見て真似て、肌で吸収するように技術と心構えを学びました。仏師の道は深い。私もまだまだ勉強中です」。
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