嵐山から小倉山に向かって足を伸ばせば、社寺が立ち並ぶ地域が広がります。その風光明媚な様は平安遷都以降、公家たちが遊猟や行楽地として愛し、皇族や貴族のみが立ち入ることを許される「禁野」として特権階級が独占した歴史を持つ地。京では、その豊かな地域性と歴史に敬意と愛着を込めて、古くから嵯峨野と呼ばれています。
長きにわたり人を惹きつけ、多くの観光客を招くこの地に以前は幾つかの民芸品が存在しましたが、戦争を隔てて消えゆきました。その現状を嘆き、柳宗悦の民芸復興の意を受け継ぐように嵯峨野の地で、一度途絶えた『嵯峨面』の歴史に新たな生命を吹き込んだ方がいました。初代藤原孚石(うせき)さんです。嵯峨面とは、重要無形民俗文化財で京の三大念仏狂言の一つ「嵯峨大念仏狂言」に使用される面を模したもので、昭和の初め頃まで社寺の門前で売られていた嵯峨の歴史を吸い込んだ逸品。
「僅かに残された面を独学で研究し、地域の方々の協力だけをたよりに復活させたようです」と 原さんは先代を思い浮かべるように語ります。
父の背中を見つめ、学生時代から手伝い、二代目 原孚石を継承。観音、大黒といった神仏面から、翁、お多福、天狗、鬼…、十二支を揃える干支面まで、いまでは三十種以上の面を作り上げてきました。その表情はどれも穏やかな愛嬌を帯び、年月とともにしっくりと馴染む色合いが印象的。そのはず、 原さんは画壇で活躍する日本画家でもあります。色づけには絵を描くときの顔料を用い微妙な濃淡を重ね、温もりある表情は、日本画仕込みの経験が集約されています。一点一点を手作業で丁寧に形づくられていく嵯峨面は、民芸品の粋を超え、“作品”と呼ぶに相応しいものに思えます。
「紙を何層にも貼って作るのですが、その紙が手に入りにくくなってきてね」との話に、紙について問うと、「使用しているものはすべて明治時代の書物の反古紙(ほごがみ)。コシがあり、色乗りがいい。現在の紙だとこの風合いは表現できない」と 原さんはいいます。
たとえば、巳年の二〇一三年から、干支面を一つずつ集めていく。そんな、大人の楽しみにもぴったりな民芸品。和みと明るい雰囲気は、毎年多くのファンを魅了しています。
干支面の巳。裏面は明治時代の書物を重ねて形成します。柔らかな印象を醸すお多福や稚児面などには、かな文字の古書を使用するというこだわりも。
Information
嵯峨名物 嵯峨面
京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町6
TEL:075(861)3710
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先代から 原孚石を継承するときに伝えられたのは「お前は、お前の面をつくれ」という一言だけだったといいます。
表情を確認し、日本画で使用する顔料を使用し、一枚一枚、手作業で塗り重ねていきます。ふたつと無い味わい深い嵯峨面の表情は、原さんの筆から生み出されます。
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