旧東海道に面する六角堂に安置されている山科地蔵は小野篁(おののたかむら)によって刻まれたお地蔵さまのひとつと言われ、身の丈は約3m。子宝の霊験で知られています。
京の子供たちが心待ちにする、夏休みの終わりを告げる地蔵盆。その起源には平清盛が関わっていたのをご存知ですか?
まだ夏の蒸し暑さが残る8月22、23日。旧東海道(三条通)に添って建つ山科徳林庵には多くの人が訪れます。お目当ては、お地蔵さま。そう、この両日は「京の六地蔵めぐり」の日。平安後期、疫病が流行したのを憂いた後白河法皇が都の安寧を願い、京の六街道の入口にお地蔵さまを祀るよう清盛に勅命したといいます。それを「廻り地蔵」と名付けたのが始まりなのだそう。それが室町時代に庶民にも広がり、今や八百年を越える京の伝統行事に。現在、徳林庵にはそのひとつ、山科地蔵が配されています。
「徳林庵の前の旧東海道は東から都への入り口。その昔、外から病気や疫病神が都に入ってくるという考えがあったので、特に幹の太い箇所で作られたお地蔵さんを置き、都の守護を願ったのではないでしょうか」とご住職の政義大庵(まさよしだいあん)さん。「旧東海道は交通の要所とされていましたので、都から出て行く人はお参りして道中の安全を祈願し、また東から来る人には疫病神がついてくるという考えから、お地蔵さんに厄を取ってもらっていたようです」。
祇園祭に夏休みの到来を喜び、五山の送り火に夏休みがあと少しになった寂しさを憂い、地蔵盆に至って夏休みの終わりを実感する。都人なら山科地蔵の柔和なお顔を拝見すると、みんな心のどこかで感じていた“区切り”の地蔵盆を思い出すのではないでしょうか。
「関西、特に京都で地蔵盆が今も大切にされているのは、お地蔵さまが子供の守護菩薩として地元に根付いたから。これからもこの山科地蔵には、皆さまに近いお地蔵さまであっていただきたいですね」。
今も六地蔵めぐりの二日間には、徳林庵の建つ旧東海道沿いにずらりと屋台が立ち並び、多くの人で賑わいます。 |
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「六地蔵めぐりが二日間あるのは、歩いて廻っていた頃の慣習が残っているから。最近ではタクシーでお幡だけを収集する方もいらっしゃいますが、巡礼は、もともと修行。徒歩でめぐると、大きな功徳と新しい内なる発見がありますよ」。
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