<いま、日野山の奥に跡をかくして…>
鴨長明が記した「方丈記」の一節です。彼が隠遁生活を送り、この随筆を残した伏見 日野の地にひっそりと佇む法界寺が今回の舞台。地域の人たちは親しみを込めて“日野のお薬師さん”と呼んでいます。
国宝の阿弥陀堂、阿弥陀如来坐像、重文の秘仏薬師如来像、阿弥陀堂内陣の壁画など、歴史的にも大きな価値のある文化財が数多く存在するお寺です。そのひとつに、年に一回、200年以上も絶えず続けられてきた京都市の無形民族文化財『裸踊り』があります。
寒風吹き抜ける小正月前日、1月14日。場所は、国宝阿弥陀堂。短い冬の陽がとっぷりとくれた頃、褌姿の男性達が「ちょうらい(頂礼)、ちょうらい(頂礼)」と叫び合う声が、静けさ漂う日野に響き渡ります。
「もともとは五穀豊穣や万民快楽(ばんみんけらく)を祈る儀式。下帯ひとつで水垢離(みずごり)をとり、裸体をぶつけ合いながら両手を高く合掌し、寒さを跳ね返さんとばかりに大声を張り上げ踊ります。さらしを巻いて踊り、それを妊婦さんの腹帯にすれば、安産すると言い伝えられているんですよ」とおっしゃるのは、ご住職 岩城秀親師。終了後には、数百枚もの牛王法印(ごおうほういん)が頒布されますが、その一枚いちまいにご自身が手仕事で丁寧に木版刷りを施していらっしゃいます。
「その昔は隠遁の地に選ばれた日野にも今やマンションが建設される時代ですから、すき好んで真冬に越中褌姿になりたいと思う人は稀。一時はお子さんたちの参加が減っていましたが、最近ではありがたいことに、小学校や地域の皆様の後押しのおかげで、子どもたちもふたたび増えてきました」とご住職。
脈々と受け継がれてきた先人たちの思いを継承していく地域性がしっかり根付き、息づいている日野。裸踊りを経験した子供たちは、たとえこの地を離れても、きっと誰かにその思い出を楽しげに話す日がくるのではないでしょうか。
|
|

「安産ご利益があるのは、褌ではなくお腹に巻いたさらしですよ」と昨今の勘違いに笑いながら。もちろん「子供の頃は私も裸で踊ったものです」とのこと。秘仏 薬師如来像のお腹に小薬師像(胎内仏)が収められていることから、法界寺は女人信仰が強く『乳薬師』とも呼ばれています。 |