![炎の祭り「広河原松上げ」](images/im_02.jpg)
火の粉が夜空を舞い散り、闇に尾を引く炎が幾筋も弧を描き出し、鉦(かね)と太鼓の音が鼓膜を揺さぶる。
その祭りは、毎年八月二十四日の辺りが闇の帳(とばり)に包まれた頃、幻想的な光景を浮かび上がらせる「広河原の松上げ」。随筆家白洲正子さんの心にも生涯忘れがたい感動を植え付けた祭礼です。火伏(ひぶ)せとして信仰の篤い、愛宕神社への加護に感謝する献火と言われています。
「松明(たいまつ)を投げ上げることから現在では、“松上げ”と呼ばれていますが、江戸時代よりここ広河原では、天に向かって立てる二十メートルほどの太い檜柱の呼び名である『燈籠木(とろぎ)』というのが本当。」そう語るのは広河原松上げ保存会の廣庭弘一さん。六十年以上も火祭りに寄り添ってきた山人です。
「その燈籠木の頂上部に取り付けた大笠めがけて闇夜の中、男衆があちらこちらから松明を放り投げる。一番点火を目指して、『いちや、いちや』と叫びながら。私でもこれまで“いち”の名誉は若い時の一回きり。燃えさかる炎の抵抗で、狙いを定め高く放るのは容易(たやす)いことではありませんから。」
広場一面の千本を越す地松(じまつ)と呼ぶ松明に灯された火が尽きる頃、大笠は濛々(もうもう)と火の粉を巻き上げながら燈籠木もろとも地面へ倒されます。さらに、地上に降りた火塊に大笠の添え木を突っ込み、火に加勢すると、炎は天に昇るかのごとく宙高く乱舞し、闇夜を焦がす圧巻のクライマックスを迎えます。「この“つっこみ”は、各地に松上げは数あれど、ここ広河原ただひとつだけ。ご覧になりたければ、八月二十四日の午後七時半頃から始まりますので、どなたでもいらっしゃい」とのこと。
夏の終わりに、炎だけが醸す世界に包まれるひととき。京都市の最北の地ながら、再来を期する方の多い“生きた祭り”です。
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![かざりや店主 川池 慶子さん](images/im_01.jpg)
これまで使ってきた燈籠木は廣庭さんが十数年前に切り出してきたもの。今年は新たな檜柱を山に分け入って、用意するとのこと。喜寿近くになっても、まだまだ現役の山人でした。 |