神社や寺院が数多い古都・京都。そのなかには、特別な“役割”を担って千数百年の歴史を重ねてきた社寺があります。たとえば、「教王護国寺」の異名を持つ東寺は国家鎮護の寺院。国を護る役割を担っています。護られていても、ときには疫(えき)病が大流行することもありました。こうした時、政争に敗れて無念の死を遂げた人々の霊が禍(わざわい)をもたらしたと考え、その霊を鎮(しず)める役割を担った神社を建てました。その典型が上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)と下御霊神社。今も、5月1日には神輿大前の儀、18日には神輿渡御の儀が厳粛にとりおこなわれ、八所御霊と呼ばれる神霊を沈めます。
現代から考えれば、旧暦5月といえば梅雨の季節。湿気と暑気で流行病が起こっても不思議ではないところですが、王朝の昔には怨霊の仕業と考えられ、疫病除けに庶民に授与されたのが「唐板」というお菓子です。初めて作られたのは貞観5年といわれるから、9世紀のこと。しかも、京都という街のおもしろさは、千百数十年を経た今も、上御霊神社の門前で唐板が作り続けられていることです。
「何代続いてきたかわからないんですよ。七代くらい前まではさかのぼれるんですけどねぇ…」とおっしゃるのは、唐板を商う唯一のお店、「水田玉雲堂(みずたぎょくうんどう)」の水田千栄子さんです。原料は小麦粉。小麦は中央アジア原産の植物で、太古の時代にシルクロードをつたって東洋に伝わった食品です。時代につれて工夫が重ねられ、砂糖や卵、塩が加えられるようになりました。
「お客さんによってはニッキが入ってるとか、ショウガが入ってるとかおっしゃいますが、ほかには何も入ってないんですよ」。卵がつなぎに用いられるようになったのは先代からのこと。長い長い歴史から思えば、つい、このあいだのことです。シンプルであればこそ、代々の当主やその奥さんたちが懸命に自分の味を求め続け、千栄子さんのご主人も「四十年焼き続けてきましたが、父の味を忠実に引き継ぐことから、自分の味を創り上げたのは数年前からです」。
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「唐板は、現代から感覚を変えてもらわないと、理解していただけないかも知れません。京都の街のにぎわいはまったくなくて、年に一度の御霊さんのお祭りが大きな催しだった時代に、氏神さんへお参りした人がご近所に配られたのが唐板だったんですよ」 |