上田秋成坐像 初代高橋道八 作
厳しい夏の気配が遠ざかるころ。京都・東山は散策に最適の季節を迎えます。せっかく古都の散策を楽しむなら、観光ガイドにも載っていない、とっておきの場所にこの秋は行ってみませんか?
琵琶湖疏水を引いた名庭園が散在する南禅寺界隈。秋が深まるとともに、そこここの庭園の樹木が美しく染まっていきます。そんな界隈の一角に、さして大きくもない寺院の門構え。ところが、門前の木札を見ると、ここは江戸時代の文人・上田秋成(うえだ あきなり)の墓所だと記されています。怪異な物語を集めた秋成の『雨月物語(うげつものがたり)』は、山東京伝、滝沢馬琴に大きな影響を与えたといい、今夏には、京都国立博物館で没後200年を記念した特別展が催されました。そんな人物の眠るお寺が、観光でにぎわうことなく伝わっているところが、京都の厚み、深みというものでしょう。
一般に公開されていない寺院をお訪ねするには“礼儀”が大切。「上田秋成さんの墓前に、お線香でも手向けさせてください」とお願いすると、84歳になられるという 木正隆(たかぎ しょうりゅう)ご住職が、本堂へと案内してくださいました。本堂には大正時代に模造された秋成の像が安置され、その奥の庭に、蟹(かに)をかたどった台座を持つ秋成のお墓があります。「外は固く、内は軟らかく」と洒落た秋成の号は無腸。無腸(むちょう)とは蟹のことです。
「秋成さんは当寺の玄門(げんもん)和尚と懇意だったそうで、京都市内の各地に転居したのち、和尚とのご縁でこの南禅寺界隈にも暮らしていました」とご住職。
この界隈は、明治維新以降、疏水や発電所、インクラインが造られ、近代化の先駆けとなりましたが、江戸の昔には、禅の名刹である南禅寺や金地院の境内が広がり、その一方で、浄土宗の西福寺が“村のお寺”として、庶民に親しまれていました。晩年、孤独な身の上だった秋成は、そんな村のお寺へと葬られました。
文化6年(1809年)に秋成が亡くなったころ、東山の地にはどんな景色が見られたか…。想いを馳せつつ西福寺の門を後にしたら、三十六峰の一つ、一乗寺山へと向かってみるのも一興。一乗寺にある野仏庵の雨月席は、茶人でもあった秋成が愛した茶室を移築したものです。
野仏庵 ホームページ
http://nobotokean.tyanoyu.net/nobot.html |
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西福寺には秋成のお墓、陶像ばかりでなく、秋成の筆による掛け軸も伝わっています。蟹をかたどった花押(サイン)のある秋らしい作品もある。拝観の希望は、礼を尽くしてご住職に連絡を。 |