♪月はおぼろに、東山… 山紫水明の都に連なる東山三十六峰は、いったい、どのやまを指すのかも、 その呼び名や文字も、折々に変化を見せる不思議な山々です。 歴史と伝説でつづられてきた東山の魅力を、季節ごとにご紹介してまいります。
「東山」の名を高めた室町幕府八代将軍、足利義政が山荘「東山」を営んだのが、この山のふもと。 『わが庵は月待山のふもとにて、 かたむく月の影をしぞ思ふ』という歌が伝わっています。山荘「東山殿」は現在の銀閣寺です。
五山の送り火、「大文字」はこの山の西の頂きで焚かれるところから、別名「大文字山」。如意ケ岳という名前は、平安時代にあった如意寺から。
節分で有名な吉田神社が山上にあり、「紅もゆる」と唄った旧三高の寮歌にも登場する山です。
山としての知名度は低いかもしれないものの、幕末の歴史を語る上で欠かせない、黒谷の金戒光明寺がそびえ建つのが、この山。維新前には京都守護職の松平容保が、会津藩士を率いて駐屯した地で、山頂には会津藩士たちの墓所がある。。
浄土宗の開祖、法然上人ゆかりの法然院があるのが、この山。境内の旧墓地には、谷崎潤一郎、内藤湖南なども眠っています。
かれんな花の名にふさわしく、この山にある大豊神社には、五色ツバキや白ツバキ、わび助ツバキが咲きます。秋の七草も美しい。
この山の頂上には、クリスチャンだった同志社大学の創設者、新島襄・八重夫妻、弟子の徳富蘇峰、八重の兄の山本覚馬など、同志社ゆかりの人々が眠っています。
歌舞伎、浮世絵で有名な「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」南禅寺山門の場。石川五右衛門が楼門の上から眺めたのが、この山から広がる桜です。ところで、この門が出来たのは五右衛門の死から三十年以上のちのこと。
南禅寺の水路閣をくぐって、最勝院の奥の駒ヶ滝不動の右の林道を歩いて、大日山の頂きへ。秋の散策にどうぞ。