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伝説を語り伝える「恋塚寺」

伝説を語り伝える「恋塚寺」

 神社仏閣の数多い京都には、さまざまな通称を持つお寺さんも多く、なかには通称の方が世に広く知られている例も、一つや二つではとどまりません。艶めいた寺号からてっきり通称かと思ったら…、「いえいえ、当寺は正真正銘“本名”ですよ」と言われるのは、伏見区下鳥羽にある「恋塚寺」のご住職・安藤和彦師です。
 そもそも、平安時代の末にとさかのぼる恋塚寺ゆらいの伝奇な物語。ここで紹介しようと思ったのですが、すでに順正の箸袋でご紹介していますので、あらましは下記の「はしやすめ」をお読みください。
 恋と刃(やいば)、そして仏縁の物語が語られるようになったのは、平安時代の末、八百余年も昔のこと。ところが、その物語の“現場”が今もなお残されているところに、古都・京都の奥行きの深さが感じられます。安藤師が住職をされている恋塚寺は、袈裟御前(けさごぜん)の住まい跡と言い伝えられてきた場所。境内には袈裟御前の塚が残されて、本堂には袈裟御前と夫の渡(わたる)、文覚上人(もんがくしょうにん)のお像が三体仲良く並べられています。
 「よく、この事件は本当にあったのですか?と尋ねられます。本当にあったのやら、それとも物語なのやら…。大切にしたいのは、八百年もの長い歳月にわたって語り継いできた人々の心だと思います」と安藤師。口から口へと語り伝えられてきた想いは、ときとして粋なはからいも生むようで、袈裟御前の塚はちょっと西を向いています。その理由は、幕末の鳥羽伏見の戦いで焼失した後、文明開化の明治の世に再建された時、地元の人たちが「盛遠も出家して、文覚上人という偉いお坊さんになりはったんやから…」と、上人の眠る高雄の方角へ塚を向けて建てたのだそうです。
 いにしえからの口承を守るご住職は、優しくこう語られました。
 「観光のお寺でもなく、墓参だけに来てもらうお寺でもなく、散策の道すがらに立ち寄ってもらう説話のお寺でありたいですねぇ…」。

 

恋塚寺 安藤和彦師
恋塚寺 安藤和彦師
「恋塚を昔の仮名で書けば『こひづか』、私の名前を逆に読むと『かずひこ→こひずか』。このお寺に生まれたわけでもないのに…不思議な御縁です。これを仏縁というのでしょうか」。国道1号線からすぐの位置にありながら、恋塚寺の境内には昔のままの静寂が残っています。


恋塚寺

恋塚寺
京都市伏見区下鳥羽城の越町132
TEL 075(622)3724
  恋塚寺


はしやすめ