由緒ある恋のお守り「懸想文」 恋ふる
近世、京の恋愛事情

 クリスマス・イヴ、バレンタインデー、冬は恋人たちの季節…というより、ひょっとしたら、“恋に恋する”季節なのかもしれません。木枯らしが吹く季節、人恋しさからか。それとも、賑わいのシーズンだからこそ寂しさが身にしみるのか。一緒に歩いてくれる人がほしくなるのが冬なのでしょうか。
 「江戸時代には、もっと切実だったんですよ」と語るのは、縁結びの神社「須賀神社」の佐師郡壱宮司(さしともかず)さん。「江戸時代の数え歳では、節分を越えると誰でも一つずつ齢を重ねました。当時は、いつまでも若い男女が独身でいると恥ずかしかった時代。そういう時代の需要に応えていたのが懸想文(けそうぶみ)売りです」。
 懸想文売りというのは、何かを売る商売ではありません。布で顔を包み、烏帽子(えぼし)、水干(すいかん)姿の男性が、街の男女の求めに応えてラブレターの代筆をしたものです。顔を隠した人物の正体は…というと、お公家さんや侍です。風雅な教養はあっても暮らしは苦しかったお公家さんたち。力仕事のアルバイトをするわけにもいかず、文字を読み書きが出来なかった庶民に代わり、恋文の代筆・代読をしたいたという、いかにも京都らしいアイデアです。想いを懸ける文と書くのも、また、その懸想文を書くために、「好文木(こうぶんぼく)」の異名を持つ梅の枝に文箱を掛けて歩いたというのも、いかにも京都らしい風雅さです。
 古式ゆかしい懸想文を、節分の行事として須賀神社で復興されたのは戦後のこと。もちろん、いくら京都といっても、現役のお公家さんが居る訳ではありません。今では縁結びのお守りとなった和紙の懸想文に、

 白妙の 袖を濡らしつ 書き染めし
    清き思いを 伝えむと


 と、雅びやかに綴られた文は、宮司さんご自身が目を通して作成されます。若い男女の文面ではなく、前年の干支の動物から、今年の干支の動物に当てた文面となっています。昔は、箪笥(たんす)に入れておくと着物が増えたり、よりいっそう美しくなれると言われた懸想文。年頃の男女ばかりでなく、毎年替わる文面を楽しみにしているファンも多いとのこと。柔和で気品のある宮司さんが、どのような表情で懸想文の文面を吟味されていることやら…。

  須賀神社 佐師郡壱宮司
須賀神社 佐師郡壱宮司
懸想文の文面を吟味する宮司さん。
「節分の準備は、夏ではどうも気が乗りません。暮れからお正月を迎えた頃でないと…」。やっぱり、冬は恋の季節なのでしょうか。

須賀神社

須賀神社
京都市左京区聖護院
TEL 075(771)1178
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