京都駅を降りた旅人の目にまず入ってくるものといえば…、お西ッさん、お東ッさん、二つの本願寺(西本願寺、東本願寺)の大堂伽藍ではないでしょうか。ところが、今から四百数十年前、ちょうど『功名が辻』や『風林火山』の時代には、お馴染みの本願寺は京都に無かったのです。どこにあったかと言えば、現在の大阪城の付近(摂津石山)で、織田信長の軍勢と長い戦の真っ最中。―「亀屋陸奥」は、そのころすでに百年を超える歴史を持ち、蓮如上人や顕如上人が召し上がるお菓子を作っていたというお店です。
「戦国時代、本願寺さんが信長を相手に籠城されていた戦は元亀元年(一五七〇)から十一年間もの長い期間にわたりました。食料の入ってくる道を次第に閉ざされる中、当家の三代目・大塚治右衛門春近が知恵を絞って作り出したのが、この松風といわれています」と語りながら、二十一代目当主の大塚經雄さんが出してくださったのが銘菓「松風」。籠城中の兵糧として生まれ、顕如上人から「松風」という風雅な名前をつけられたこのお菓子は、さらに四百年余りの洗練をへて、今では、京都を代表する銘菓の一つに数えられています。
お西ッさんと亀屋陸奥の縁は現代も続いています。「一月十六日は親鸞聖人の忌日。毎年、一月九日から十六日には『御正忌報恩講』が行なわれるんですが、この時、御影堂などにお供えするお供物をお納めし続けています。餅、落雁、洲浜、酒饅頭…、数多くのお菓子を串に刺して高く盛り上げます。御影堂にお供えされる餅だけでも、左右五斗づつ、合わせて一石になります」。一石は約百八十リットル、昔は大人一人が一年に食べる米の量が、ほぼ一石とされていました。「ものすごい量になりますので年末は大忙し。報恩講が無事済んで、やっとお正月が迎えられるように感じます」。
亀屋陸奥のお店からお西ッさんへは、七条通を渡れば目と鼻の先。平成十九年も新春のにぎわいのなか、門前の菓子舗から美しいお供物が運ばれます。 |
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「司馬さんが、土方歳三に松風を食べさせてるんですよ」と笑う大塚さん。その言葉どおり、司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』の中には、新撰組副長・土方歳三が「京の亀屋陸奥の松風」を食べるシーンがあります。その発端といい、松風は戦士に愛される和菓子なのかも? |