平安の昔、絶世の美女で歌人の小野小町が「百夜通えば…」と、想いを寄せる深草の少将にツレなく答えたところから、少将は伏見の深草から小町の屋敷に夜ごと通い、訪ねた印にカヤの実を一つ置いては思いを遂げられないまま帰りました。九十九日目の夜は大雪。ようやく小町の屋敷にたどり着いた少将は、九十九個目の実を握り締めたまま寒さのため息絶えたとか―。山科区小野にある随心院は小町の屋敷跡と伝えられ、小町の墓もここにあります。「いやいや、小町はそんな冷たい女性ではありません。はねず踊の童べ唄の詞からすれば、おりしもの雪に百夜に満たぬがと少将を招き入れるが、これが別人。それで小町は愛想づかしを……」そう語るのは、はねず踊保存会の平野永二さんです。
  「はねず」とは、随心院に咲く薄紅色の梅のこと。はねず色の衣を着た小町と少将に扮した少女たちが、童べ唄(平安時代の流行り歌)に合せ踊るのが「はねず踊」です。しかし、はねず踊は大正時代から途絶え、随心院の”はねず梅“の庭も荒れ放題。このままでは消えうせてしまうと立ち上がったのが地元住民たちです。半世紀もの前の記憶を繰り寄せ振付を復活させたものの、残っている衣装はヨレヨレ。なんとか綺麗なものを着せてやりたいと随分ご苦労なさったそうです。
  すでに復活して三〇余年―今でははねず踊の継承者も増えひと安心。今年も三月第四日曜日(三月二六日)遅咲のはねず梅が咲き誇る随心院に、現代の可愛らしい小町たちが舞い踊ります。
  さてさて、美人には冷酷な女が多いのか、それとも口先だけの男が多いのか、愛恋には縁の無い筆者、判断は皆様にお任せします。
 


 「この時期に小野の郷に伝わる竹ういろを作ります。黒砂糖と寒天を竹筒に流し入れたものですが、なかなか美味しいものです。近辺に同じものは無いのですが、はねず踊を観に来た人に、自分の故郷に同じ竹ういろがあると聞きました。美しき小町伝説は全国各地に伝えられています。私見ですが、竹ういろと地域が重なるような気がするのですが…」

 

隋心院
京都市山科区小野御霊町35
TEL 075(571)0025