相次ぐ地震や乱に困り果てた朱雀天皇は、天慶三年(九四〇年)御所から鞍馬に由岐神社を移し天下泰平を祈念した。1kmに及ぶ御遷 宮の列を鞍馬の里人は火を焚き迎え無事この地に勧請した。以来、鞍馬の人々はこれを火祭として現在に伝えている。
 鞍馬は京阪出町柳駅で鞍馬線に乗り換え三〇分の山里。毎年紅葉の深まる十月二十二日に火祭りは執り行われます。
 午後六時、少年達が小松明を担ぎ練り歩き始め、次第に青年らの大松明が加わります。午後八時、仁王門前は大小無数の松明がひしめき合いクライマックスを迎えます。
 この祭を今も大切に守り伝えるのは、一六〇軒余りの洛北・鞍馬地区の人々。『鞍馬の人間に祭の話をさせたら、一晩では終りませんよ!』と熱っぽく話されるのは鞍馬本町に住む三宅さん。鞍馬では昔は"一年十三ヶ月働くべし"と言われたこともあるらしい。その心は"祭前の一ケ月は準備もあるけど、血が騒いで仕事もなかなか手につかない"という意味。実際には一年がかりで準備をするそうですが、苦労するのが松明の材料調達。つつじの枝を藤づるで結って作るそうですが、採れる山がどんどん無くなっているそうです。
 そんなこんなも、なんのその『火祭は鞍馬の人々の誇り。この時は大人も子供も鞍馬に生まれてよかったと言いますね』と三宅さん。
 火祭は筋書きのよくできたドラマ。出る人みんなに見せ場がある。今や二万人近い観客が炎と鞍馬の人々の姿に酔いしれます。
 お祭が終わるのは深夜十二時頃、この日の鞍馬線は増発し遅くまで運行します。

三宅さん
松明は大小さまざま。最大のものは長さ4メートル、重さ100キロ、直径が1メートルにも及ぶという。